アンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピットの息子たち:マドックスとパックスの成長
マドックスとパックスはブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーの子供たちだ。アンジェリーナに養子として迎えられ、後にアンジェリーナと交際を始めたブラッドがその養父となった。ハリウッドスターを養父母に持つとはどういうことなのだろう?今回はマドックスとパックスの成長を追ってみよう。
マドックス・チヴァン・ジョリー=ピットは、2001年8月5日にカンボジアで生まれた。生まれたときの名前は「Rath Vibol」だった。アンジェリーナはバッタンバンの孤児院で生後3か月の彼と出会い、養子縁組を申請し2002年までに全ての手続きを完了した。
アンジェリーナは当時パートナーだった俳優、ビリー・ボブ・ソーントンとマドックスの養子縁組を公表したが、その後2人は交際を解消。シングルマザーとしてマドックスを迎えることになった。
マドックスが4歳のとき、アンジェリーナとブラッドは『Mr.&Mrs. スミス 』の撮影現場で出会い、交際を始めた。2人の交際が公になった2006年、ブラッドは自身もマドックスの正式な養父になることを決めた。
ブラッドはさらに、アンジェリーナの2人目の養子であるザハラの法律上の父親にもなった。ザハラは2005年1月8日にエチオピアで生まれた。
2007年、アンジェリーナとブラッドは次男となるパックスを養子として迎え入れた。パックスは2003年11月29日にベトナムに生まれ、3歳半になるまでホーチミン市郊外の孤児院で暮らしていた。出生名は「Pham Quang Sang」で、2人は彼にパックス・ティエンという名前を付けた。
マドックス、ザハラ、パックスにはさらに3人の妹と弟が誕生することになる。2006年には、ブラッドとアンジェリーナにとって初の実子となるシャイロが誕生。
2008年、アンジェリーナはブラッドとの間に双子のノックスとヴィヴィアンを出産。
アンジェリーナはつねに堂々と、6人の子ども達と一緒に姿を現している。
アンジェリーナは街を散歩したり、世界を飛び回るときも、いつだって子どもたちと一緒だ。彼らはホームスクールで学びながら、仲の良い兄弟姉妹として育っていった。
シャイロはエキセントリックな少女、そしてティーンへと成長し、好んで男の子のような服装をするようになった。ジョリー=ピット家の個性を尊重する子どもの育て方は、LGBTQコミュニティーの模範になった。なお多感な年齢になったシャイロは、より女の子らしい服装を好むようになる。
マドックスとパックスは仲の良い兄弟として、あるいは親友としてともに成長をしていった。幼いころに一緒に遊ぶ姿がよくキャッチされていた。
公の場で見かけるマドックスは、パックスより物静かに見えることが多い。
マドックスのロックテイストのファッションから、ジョリー=ピット家の自由な気風の一端が窺える。ホームスクールで学ぶ子どもたちは、好きな洋服を着て食べたいものを食べ、そして気が向いたときに寝ていると複数のメディアは報じている。
一方、次男のパックスは兄よりも積極的で、見知らぬ人からの挨拶にも笑顔で応えるタイプだ。
パックスは紫色のレゴランドのテディベアを手放さない時期があった。
パックスはアニメ映画『カンフー・パンダ3』で、母のアンジェリーナ、兄弟姉妹のノックス、シャイロ、ザハラと共に声優に挑戦した。
マドックスは制作側の仕事に関心を深めていった。アンジェリーナの監督作品で、かつて存在した政治勢力、および武装組織「クメール・ルージュ」政権下の生活を描いた『最初に父が殺された』(2017)では、制作クジレットにマドックスの名前が記載された。
『Vanity Fair』誌によると、2人の兄弟は音楽が共通の趣味だそうだ。マドックスはギターを弾くこと、パックスはDJとしてレコードを回すのが好きらしい。
2人が思春期にブラッド、アンジェリーナと衝突していたことは明らかだ。ティーンにありがちなトラブルだけでなく、両親とは異なる文化背景を持つ養子であるという事実を受け入れなければならなかったのだ。
アンジェリーナは養子に迎え入れた子どもたちが、母国の文化に触れることを願っている。そのため一家は定期的にマドックスとパックスが生まれた国を訪れており、カンボジアには別宅もある。
パックスは、幼児期に両親の養子として迎えられる以前に話していたベトナム語を現在も学んでいる。
養子縁組と思春期の問題が、マドックス、パックス、ザハラにどんな影響を与えたのかは、当事者家族にしか分からない。しかし、2016年にフランスから帰国する際にブラッド、アンジェリーナとマドックスの間で口論になり収拾がつかなくなってしまった。
2016年、プライベートジェット機内で両親が争いになった際、マドックスは母のアンジェリーナをかばったと報じられている。酔っていたブラッドはa、アンジェリーナ側についたマドックスを殴ってしまったようだ。
この騒動がきっかけで、ブラッドとアンジェリーナの関係は破綻してしまう。
ブラッドは6人の子どもたちの共同親権を得るにあたり、FBIとロサンゼルス郡児童家庭サービス局によるアルコール検査を受ける必要があった。
ブラッドは子どもたちをとても愛しており、より頻繁に会うことを望んでいる。しかしマドックスは自身を「ブラッドの息子だとは思っていない」ようで、父子の中は疎遠になっていると『USウィークリー』誌は報じている。
2018年のクリスマス、年長の息子たちはブラッドの元を訪れることはなかった。「マドックスは父親の家に行くことを拒絶、パックスも同じだった」と『USウィークリー』誌は報じている。
マドックスは父親よりも母親の近くにいることが多い。とはいえ彼もパックス同様、最近のティーンそのもの。年下兄弟よりも、同年代の友人と一緒にいることが多いようだ。
マドックスは今、韓国の延世大学で生化学を専攻している。アンジェリーナは息子をとても誇らしく思うと同時に、2019年8月に新天地に彼を送り出す時には涙を流した。
アンジェリーナがマドックスを連れてソウルに降り立った瞬間を撮影した『TODAY』誌によれば、彼女はこう語っている:
「今日はマドックスを送り出す日、泣かないようにしないとね」
なお、マドックスは定期的にアメリカの自宅に戻っている。アンジェリーナが出演した『マレフィセント2 』と『エターナルズ』のプレミア試写会にも出席。また、パンデミックの際は長期にわたる隔離期間を家族とともに過ごした。
2020年の隔離期間終了時には、子どもたちは父親と仲直りしたかのようにみえた。ブラッドとアンジェリーナは離婚したものの、また親しい関係を築き始めたと『In Touch Weekly』誌は報じている。