ギターの神様エリック・クラプトンの元妻、3人の子供を失った過酷な過去を告白
イタリア出身のファッションモデルで女優のロリー・デル・サントはエリック・クラプトンの元妻だ。数年前、イタリアのテレビ番組『Storie italiane』に出演。エレオノーラ・ダニエーレのインタビューに対し、3人の子供を失うという衝撃的な体験について語った。深い悲しみを乗り越えてきたロリー・デル・サントのストーリーをふりかえってみよう。
ロリー・デル・サントは英国出身のミュージシャン、エリック・クラプトンとの間にコナーという息子を授かっていた。しかし1991年3月20日、幼いコナーは一家で暮らしていたニューヨークの高層ビルで53階から誤って転落、命を落としてしまう。コナーがわずか5歳のときのことだ。
父親であるエリック・クラプトンはこの事件からしばらくして、「息子を迎えに行き、それからランチにう飼おうと準備をしていたときに、マンションから1本の電話が入ったのです。電話の向こうではロリーが泣き叫び、コナーが死んだといっていました。わたしは何もかもが信じられませんでした」とコメントしている。
エリック・クラプトンがイタリア出身の女優ロリー・デル・サントと知り合ったのは80年代、当時クラプトンはパティ・ボイドと結婚していた。しかし恋に落ちた二人は同棲をスタート、この上ない幸福を手に入れる一方、言葉にできないほどの悲しみを分かち合うことになる。
この悲劇から数か月後、クラプトンは自身を代表する一曲となるバラード「ティアーズ・イン・ヘヴン」を書き上げ、息子コナーに捧げた。
このときの悲劇について、ロリー・デル・サントはインタビュアーのエレオノーラ・ダニエーレに次のように語った:「(長男コナーの死について)以来、私は立ち直ることができませんでした。あれはほかの人の不注意により、私の知らない間に起こった事故で、立ち直れなかったし、今後も立ち直れるとは思いません」
「私はふつうの生活をしていますが、まったくふつうというわけではありません。あまりにも苦しい経験を重ねると、人生などどうでもよくなってしまうものです。自分にはそうしたところがあると思います」
息子を失ったロリー・デル・サントとエリック・クラプトンは悲しみを乗り越えることはできず、10年間の結婚生活を経て1989年に離婚を申請した。
残念なことに、ロリー・デル・サントの人生における悲劇はコナーの死にとどまらなかった。2018年、ロリーの2人目の息子で当時19歳だったローレンが自ら命を絶ってしまったのだ。その父親については一般に知られていなかったが、2000年になってからロリーは、ドイツ出身のデニス・シャラーという男性だったことを明かした。
ロリーはイタリアのトーク番組『ドメニカ・ライブ』に出演した際、「息子のローレンが3歳だったある日、突然(その父親であるデニス・シャラーが)私のオフィスにやって来ました。『きみに赤ちゃんが生まれたそうだね。父親は私だということはわかっている、ぜひ子供に会いたいんだ』といわれました。私は『わかったわ、でもその前にいちど話をしましょう』といって翌日にミラノで会う約束をしたのです」と語った。
しかしその日、ローレンの父親であるデニス・シャラーは約束の時間に姿を見せなかった。「デニスはその後も姿を現しませんでしたし、消息を聞くこともありませんでした。この世界のどこにいるのかさえ分からなかったのです」
ローレンが19歳でこの世を去った時も父親であるデニス・シャラーは連絡をしてこなかったという。ロリー・デル・サントはこの人物を恨んではいないとし、自身が受け取った贈り物、つまり息子ローレンを授かったことに感謝していると語った。
母親であるロリー・デル・サントも気づいていなかったが、ローレンは「快感消失症」という精神疾患を患っていたという。現実世界から隔絶されてしまう病であり、ローレンはこれを苦に19歳で自ら命を絶ってしまったのだ。
イタリアの『DiLei』誌によれば、ロリー・デル・サントは「ローレンは最高の息子だったけど、変わったところがありました。そうと知らなければ本人の性格の一端だと思ってしまいますが、実は彼が抱えていた病気の症状だったのです」
ロリー・デル・サントは息子ローレンの死を振り返り、同じような状況にあるすべての親たちに向かって「お子さんのことを救えるよう、症状に向き合い理解するよう努めてください」と呼びかけている。
実際、ロリー・デル・サントが深く悔やんでいることは、息子ローレンが苦しんでいた病を理解できなかったこと、気付いた時には手遅れだったことだと語っている。
ロリー・デル・サントは3度の喪失体験をしているが、かつてそれを知る人はほとんどいなかった。90年代初頭、ロリーはテニス選手のリカルト・クライチェク(写真)との間に子供を授かった。しかし、生まれてきた赤ん坊は感染症のため生後15日で亡くなってしまったのだ。
イタリアの『DiLei』誌によれば、ロリー・デル・サントは「この話はだれにもしていませんでした。出産に関して起こりうることであり、ごく個人的なこととして胸の中にしまっています」と語った。
ロリー・デル・サントの人生を襲ったいくつもの悲劇、そして過酷な体験を乗り越えてきた勇気と精神力は驚きと称賛に値するだろう。ロリーは悲しみに暮れ続けるのではなく、人生という道をふたたび歩き始めることを選んだ。
ロリー・デル・サントは困っている人々を支援すると同時に、自分を本当に大切にしてくれる人々から支えられて、なんとか生きてきたと語る。
たび重なる悲劇に襲われたロリー・デル・サント、そのライフストーリーは多くの人の心を揺さぶらずにはおかない。デル・サントは「人生はひとつの冒険。ブランコに乗っているようなもので、アップダウンがあり、その中で幸せになることも不幸になることもあります。それでも、生きることには大きな価値があります」と語る。
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