歌姫シェールの2人の子供は「トランス男性」と「薬物中毒者」……
「ポップの女神」と称される歌手のシェールは、比類の存在感を誇る圧倒的なアーティストだ。だが、そんなシェールも2人の息子、チャズとイライジャにとってはひとりの母親に過ぎない。
シェールの最初の子どもはソニー・ボノとの間に産まれた。シェールとソニー・ボノの出会いは1962年で、当初はただの友だちだった。『ザ・サン』紙によれば、シェールがソニーの家政婦として働いていた時期もあったとか。だが、やがて2人の間に愛が芽生え始める。
1969年3月4日にふたりの子どもであるチャズ・ボノが誕生、ほどなく正式に結婚した。その頃にはシェールとソニーはデュオとしていくつもヒットを飛ばすほどになっていた。
だが、音楽的には成功していたにもかかわらず、ふたりの結婚生活はうまくいかなかった。1972年には「修復不可能なすれ違い」を原因として離婚を申請。財産分与やチャズの親権に関して争いが生じ、離婚が成立したのは1974年6月となった。
その後、1975年6月にシェールはミュージシャンのグレッグ・オールマンと結婚。だが今回の結婚も当初から波乱含みだった。結婚式からわずか9日後にシェールがオールマンの薬物・アルコール濫用を理由に離婚を申請しているのだ。とはいえ、その申請は結局取り下げられ、1976年6月にはふたりの子どもイライジャ・ブルー・オールマンが誕生した。
シェールの最初の子どもチャズ・ボノは1969年3月4日生まれ。チャスティティ・サン・ボノという名前で女の子として生まれたが、やがて性別と名前を変え、今はトランス男性として生きている。
1990年、チャズは最初レズビアンとしてカミングアウト。トランス男性であることを公にしたのはそれから20年後の2009年のことだった。その翌年の2010年には法的に名前と性別を変更している。
チャズはそのような自身の経験を「Family Outing」(1988年)、「The End of Innocence」(2003年)などの本にして伝え、LGBTQ+コミュニティのエンパワメントに尽力している。
また、チャズは母親同様、音楽活動も行なっており、「セレモニー」というバンドを主宰してギターボーカルを務めていた。「Could've Been Love」や「Ready for Love」といった曲を発表したが、解散してしまった。
チャズがレズビアンとしてカミングアウトして以降、父ソニーとの関係はぎくしゃくしたものとなった。父は当時カリフォルニアの共和党で保守派として活動しており、同性愛やトランスジェンダーに対してオープンとはいえなかった。1997年にチャズはソニーと連絡を取らなくなり、その一年後、スキー中の事故でソニーは亡くなってしまう。
母シェールは息子のカミングアウトに父とは異なった反応を見せた。シェールは息子が自身の望む性別に移行するのを常に支えていたという。『ヴァニティ・フェア』誌のクリスタ・スミスによるインタビューでシェールはこう語っている:「もし私がある朝いきなり男性の体になってたら、泣き叫びながら飛び起きて、銀行強盗でもやっちゃうでしょうね。チャズみたいに冷静に対処するなんてできない」
チャズは社交ダンスリアリティ番組「ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ」の第13シーズンにも登場。昔ながらの男女カップルがテーマの番組に出演した初のトランス男性となった。
チャズの弟イライジャは1976年6月10日生まれ。シェールとグレッグ・オールマンの間の子どもだ。
残念ながら、イライジャは父親とあまりうまくいかなかった。グレッグの薬物乱用が家庭に問題をもたらすことが多かったため、シェールはイライジャが7歳の時に全寮制の学校に送ることにしたのだ。
イライジャはその時のことをテレビ番組「エンターテイメント・トゥナイト」で振り返り、家族に邪魔者扱いされているように感じたと語っている:「7歳で全寮制の学校に送られたら、自分が邪魔なんだと感じずにいるのは難しかった」
2014年の同番組のインタビューで、イライジャは幼い頃からドラッグを使用していたと認めている:「ドラッグを始めたのはみんなと同じくらい、11歳の頃かな」
イライジャはこう続けている:「自分の過去から逃れたかったんだ。そしたら、ちょうどその手の薬物があったってわけ」
その後、兄や両親と同じくイライジャも音楽の道に進み、P・エクセター・ブルーという芸名でバンド「Deadsy」のギターボーカルを務めていた。
イライジャは有名バンドともコラボしており、ジャレド・レトのバンド「サーティー・セカンズ・トゥ・マーズ」のファーストアルバムに参加したほか、「コール・チェンバー」や「シュガー・レイ」の楽曲にも参加して歌声を披露している。
2013年にはかねてから交際していたマリーアンジェラ・"クィーニー"・キングと結婚。だが、2020年には破局に至り、2021年にイライジャが離婚を申請している。ただし、現在に至るまで離婚が正式に成立したという報道はないため、いまのところは「別居中」扱いとなっている。
イライジャはその間も薬物乱用は続けていた。「エンターテイメント・トゥナイト」には薬物が「救ってくれた」とも語っている:「あの時あれがなかったら、何をしていたか……橋から飛び降りてたかも」
結婚する数年前の2008年には一度薬物を絶っていたのだが、のちに再び手を出してしまった。2023年9月には、自宅のあるロサンゼルスのシャトー・マーモント・ホテル近くの歩道で意識を失っているところが目撃されたと『デイリー・メール』紙が伝えている。
2023年末、77歳となった母シェールが47歳のイライジャに対する成年後見人となる申請を行った。『ピープル』誌によると、シェールはロサンゼルスの裁判所にイライジャは「事実上自身の財産を管理することが不可能」だと述べたという。
イライジャは書類上まだ結婚しているわけだが、シェールはイライジャの妻は後見人として不適格だとしているという。同じく『ピープル』誌によると、裁判所の書類にはこう書かれていた:「ふたりの関係は不健全であり、薬物中毒やメンタルヘルスの問題などがつきまとっている」
その書類ではこう述べられている:「申請者(=シェール)は、イライジャの手に渡ったあらゆる金銭が直ちに薬物に消え、ほかの物のための資金が残らず、本人の生存が脅かされていることを懸念する」
だが、イライジャ本人は医者の助けを借りて薬物を断ちつつあり妻との関係も改善に向かっていると主張、母が後見人となることには夫婦ふたりとも強く抵抗している。
それどころか、マリーアンジェラはシェールが2022年11月に複数の人間を雇い、イライジャをマリーアンジェラと暮らしていたホテルの部屋から拉致させようとしたと主張している。『ピープル』誌が報じている。マリーアンジェラいわく、シェールに雇われた人々はイライジャをむりやり更生施設に入れようとしたという。同誌は2022年の裁判資料を引用しており、そこではマリーアンジェラがこう主張している:「イライジャは治療施設に閉じ込められ、その場所は私には明かされなかった」シェールはこのことを一貫して否定している。
2024年1月5日、ロサンゼルスの裁判所はシェールによる成年後見人申請を却下。『LAタイムズ』紙によるとイライジャの側に必要な時間が与えられなかったことが原因とされ、1月29日にもう一度聞き取りが行われるという。
いかなシェールといえど、母親業は一筋縄ではいかないようだ。ひとりは性別以降というつらい道のりを歩み、もうひとりは深刻な薬物問題を抱えている。だが、それでもシェールはふたりの母親であり、いつでもその助けになるつもりだと語っている。シェールは2017年に『Closer Weekly』誌にこう述べている:「母親でいることが大好きです。間違いなくこの世で最高の子供たちを授かりました」