故エリザベス女王お気に入りの孫娘:レディ・ルイーズ・ウィンザー
故エリザベス女王にとって最年少の孫娘、レディ・ルイーズ・ウィンザーは19歳。これまでルイーズ嬢にスポットライトがあたることは少なかったが、成長を遂げた最近は公の場に姿を現す機会が増え、人々の注目を集めている。
レディ・ルイーズ・ウィンザーは、故エリザベス女王とフィリップ殿下の三男エドワード王子の娘だ。女王の孫娘の中では1番年下であり、ルイーズ嬢には4歳年下の弟ジェームズがいる。また次期国王であるウェールズ公ウィリアムのいとこでもある。
1999年にエドワード王子がソフィー・ヘレン・リース=ジョーンズと結婚したとき、2人は将来の子どもたちが普通の生活を送れるようにと、高位王族に使用される称号である「HRH, His/Her Royal Highness」を辞退した。ルイーズ嬢が「レディ」の敬称を持つのはそのためだ。
ルイーズ嬢は実質プリンセス(王女)と名乗れるが、王位継承順位の低い王子の長女なので、おそらくその敬称を使うことはないだろう。母親のソフィー妃は『サンデー・タイムズ』紙のインタビューで以下のように語っている:
「2人は『HRH, His/Her Royal Highness』の称号を使用する権利は持っています。18歳を迎えればプリンス、プリンセスを名乗るかどうかを決めますが、実際は民間人として生きることになると思います」
また、ソフィー妃はこう続けている:
「生活するために働く必要があることを前提に子育てをしています。だからこそ親として、子どもたちが『HRH, His/Her Royal Highness』の敬称を使用しないことを決めたのです」
2003年11月8日、ルイーズ嬢は未熟児として生まれた。ソフィー妃はウェセックス州の自宅から救急車で病院に搬送後、常位胎盤早期剥離のため緊急帝王切開が行われ、母子ともに大量出血に見舞われた。
突然の事態であったこと、そしてエドワード王子はモーリシャスを公式訪問していたため、出産に立ち会うことはできなかった。
ルイーズ嬢は生まれつき、右眼か左眼どちらかの視線が内側に向かってしまう「内斜視」の症状があった。目は一番最後に完成する部位なので、未熟児で生まれた場合は内斜視になることがよくある。
2006年1月、ルイーズ嬢は内斜視の手術を受けるがうまくいかなかった。2013年末に再手術を受け、ついに視力は完全に回復する。
ソフィー妃は娘の内斜視について、『サンデー・エクスプレス』紙に以下のように説明している:
「幼少期から娘の斜視はかなり重度で、矯正には時間がかかりました。左右の視力に差が出てしまう恐れもありましたが、現在、娘の視力は完璧に回復しています」
ルイーズ嬢はイギリス王家に伝わる洗礼式用ガウンを羽織った最後のロイヤルメンバーだ。この洗礼式用ガウンは1841年にヴィクトリア女王のために作られたが、故エリザベス女王は破損の恐れがあると判断しレプリカの製作を命じたのだ。ルイーズ嬢より年少のロイヤルメンバーたちは、洗礼時にレプリカのガウンを着用している。なお、ロイヤルファンたちいわく、故エリザベス女王は最年少の孫娘のルイーズ嬢が大のお気に入りだったそうだ。
ソフィー妃はBBCのインタビューで、幼少期のルイーズ嬢は祖母がどれだけ偉大な存在かを理解していなかったと明かした。彼女にとって、故エリザベス女王はふつうの祖母でしかなかったのだ。公務とプライベートをうまく線引きしてきた故女王の手腕は賞賛に値するだろう。
2016年5月、ソフィー妃はBBCのインタビューにこう答えている:
「ルイーズにとって、それは衝撃的だったでしょう。学校から帰ってきて、『ママ、みんながおばあちゃんは女王だってずっと言っているのよ』と話すので、どんな気分なのか尋ねてみると、『わからないわ』と。女王は1人しかおらず、それが祖母だということをまだ理解できなかったのです」
ご存知のように、英国王室は家族同士の結束を大切にしてきた。ロイヤルメンバーが写る写真を見れば、その強い絆が手に取るようにわかる。ソフィー妃によると、ルイーズ嬢は家族の中で一番恵まれているという。
ソフィー妃は「私たちは幸運にも女王が週末を過ごすウィンザー城の近くに住んでいるので、子どもたちは定期的に女王と一緒にお茶を楽しめます。2人は本当に幸運です」と語っている。
2011年、いとこにあたるウィリアム王子とケイト・ミドルトンが結婚したときは、ブライズメイド(花嫁のサポート役)を務めた。当時7歳だったルイーズ嬢の明るい表情とブロンドの髪は、ロイヤルファンの間で大きな話題になった。
ルイーズ嬢と弟のジェームズは、大きな注目を浴びることなく成長してきた。しかし、今年初めに行われた エリザベス女王即位70周年を祝う祝賀行事「プラチナ・ジュビリー」には、他のロイヤルメンバーとともに参加している。
ルイーズ嬢は祝賀行事に洗練された初々しい装いで登場。軍旗敬礼式では、Reissの鮮やかなピンク色のフラワードレスの上に淡い同色のジャケットを羽織り、そこにアシンメトリーな帽子を合わせるという、10代のロイヤルメンバーらしいコーディネートを披露した。
祝賀行事の週末に開催されたパーティーでは、ZARAのアニマル柄のドレスを着用し大きな反響を呼んだ。また、グレーのコートと合わせたコーディネートも注目を集め、ZARAのドレスは完売した。
特別礼拝にはGhostのサテンドレスとJane Taylor Londonのスパンコールヘアバンド姿で登場し、誰もがその洗練された姿に驚いた。なお、ルイーズ嬢が着用した洋服は、完売に迫る人気商品になった。
他の10代と同じく、母親のワードローブから洋服を借りることだってある。たとえば、2018年にルイーズ嬢の装いに花を添えたNoble MacMillianの紫色のタッセルポーチは母ソフィー妃の所有だ。ルイーズ嬢がソフィー妃の衣装や小物をどうコーディネートするかは気になるところだが、2人ともよく似合っている。
エドワード王子一家は今年のコモンウェルスゲームズ(4年毎に開催されるイギリス連邦に属する国や地域が参加する総合競技大会)をとても楽しんだようだ。ルイーズ嬢は母親のソフィー妃が2015年のチェルシー・フラワーショーで着用したPeter Pilottoのピンクとブルーのドレス(約16万円相当)を借りてイベントに登場した。母娘ともによく似合っている。
前述のGhostのドレスはともかく、ルイーズ嬢のコーディネートは10代らしく、鮮やかで大胆な色使いのものが多い。またフラワープリント好きとしても知られ、2019年一家でブリストル動物園を訪れた際に着用した春らしいフラワー柄のスカートは大きな評判になった。またカジュアルな服装に合わせてスニーカーを履くことも多く、まさにティーンらしいコーディネートだ。
最近、ルイーズ嬢を公の場で見かける機会が多くなった。人々の注目を集めるきっかけとなったのは、2019年5月に開催されたロイヤル・ウィンザー・ホースショーのキャリッジ・ドライビング(馬車の運転)競技に出場し、3位という好成績を収めたことだ。
競技イベント終了後、ソフィー妃は『ハロー』誌に以下のように話している:
「率直に言うと、私はルイーズについていくのが精いっぱいです。娘は生まれつき才能があり、馬車の運転に没頭しています」
「キャリッジ・ドライビング競技に関しては、フィリップ殿下から大きな影響を受けました。祖父は馬車競技のルールを確立し競技会を開催した創始者でしたから、素晴らしいと思う反面少し怖いと感じることもありました。しかし祖父から競技を学べたことは何ものにも代え難い体験で、私達の絆は間違いなく深まりました。競技会のあと、いつも感想を聞いてくるのですが、そのときの目は興奮で輝いていました」
2021年4月、フィリップ殿下が崩御したため、ルイーズ嬢は馬車とポニーを受け継いだ。そして、1年後のロイヤル・ウィンザー・ホースショーでは、女王の前で祖父の馬車を走らせた。ルイーズ嬢にとって多くの趣味を共有した祖父の死は、何よりも辛い別れとなった。
大学入学に必要な統一試験であるAレベル試験で、ルイーズ嬢は英語と歴史、政治、演劇を選択。王室側はその結果を明らかにしていないが、バッキンガム宮殿の広報担当者は以下のように述べている:
「Aレベル試験の結果を受け、レディ・ルイーズ・ウィンザーは、9月からセント・アンドリューズ大学で英語を学ぶことになる」
ルイーズ嬢はウェールズ公夫妻と同様に、学業を修めるためにスコットランドのファイフに移る予定だ。
大学入学を控えた当時のウィリアム王子はギャップイヤーを利用し、チャリティ団体レイリー・インターナショナルの活動のため3カ月間南米チリへ渡った。一方ヘンリー王子は軍隊に入隊する前、オーストラリアの牧場を訪問したが、ルイーズ嬢はギャップイヤー中も国内に留まり学業を継続した。
イングランドの歴史的建造物を保護する目的で英国政府により設立された「イングリッシュ・ヘリテッジ」によると、ルイーズ嬢は聡明なだけでなく美術にも造詣が深いそうだ。あるとき故エリザベス女王は、ヴィクトリア女王が描いた高地スケッチのコレクションをルイーズ嬢へ見せたこともあった。
若きルイーズ嬢がこの先どんな道を歩もうと、英国王室にとって必要不可欠なメンバーなのは確かだ。96歳で崩御したエリザベス女王に代わり、エドワード王子とソフィー妃の公務も増えるだろう。そしてルイーズ嬢への注目度が、今後ますます高まることは間違いない。