フランス観光の至宝、モン・サン=ミシェルの豆知識15選:いくつ知ってた?
世界的人気を誇る観光地で、フランスのノルマンディーとブルターニュの境界近くに位置するモン・サン=ミシェル。訪れたことがある人もまだの人も、モン・サン=ミシェルにまつわる意外な知識をチェックしてみよう。
モン・サン=ミシェルのはじまりは8世紀ごろ。言い伝えによると、ノルマンディーの町アヴランシュの司教、オベールの夢に大天使ミカエルが出てきて、クエノン川の河口にある岩の上に教会を作るよう命じたのが興りだという。信心深いオベールといえども当初は夢のお告げを疑っていたが、何度も夢に出てきたのでついに実行したのだとか。
実際の建築作業は1300年以上かかる大事業となった。修道院の建物の建築は8世紀から始まったが、島にアクセスするための歩道橋が完成したのは2014年のことだ。
島は非常に狭いため、建物は縦に積み重ねる他なかった。1204年に一度火事に見舞われたが、その後、「ラ・メルヴェイユ」とも呼ばれる、ゴシック様式が印象的な部分が建てられた。
モン・サン=ミシェルは引き潮の時は陸と繋がっているが、大潮が来ると島になる。大潮のタイミングは観光客にも人気の絶景チャンスだ。
海峡を挟んで目と鼻の先にイギリスがあるのだが、14世紀から15世紀にかけて続いた百年戦争の間もイギリスの手に落ちることはなかった。強固な建築と潮に守られて、30年もの間包囲されても耐えきったのだとか。後の百年戦争の英雄、ジャンヌ・ダルクが大天使ミカエルからお告げを受けたのには、こういった背景もあるのかもしれない。
モン・サン=ミシェルを攻め落とすことはできなかったイギリスだが、それほど悔しくはなかったかもしれない。というのも、英仏海峡の北側にもミニ「モン・サン=ミシェル」こと「セント・マイケルズ・マウント」(写真)が存在するからだ。
じつは、フランス人の間ではしばしば、モン・サン=ミシェルがブルターニュにあるのかノルマンディーにあるのかで議論になる。行政上はノルマンディーにあるということになっているのだが、この地域はフランスの長い歴史の中でなんども所属を変え、政治に翻弄されてきたのだ。
モン・サン=ミシェルは何度かその呼び名が変わってきている。中世の間はラテン語で「危険な海に囲まれた聖ミカエルの山」と呼ばれていた。さらに、フランス革命期には「モン・リーブル(自由山)」となり、19世紀には牢獄として転用されたため「海のバスティーユ」とも呼ばれた。
牢獄として使われていた時期には政治犯が多く収監され、闘争的な共和主義者アルマン・バルベス(画像)や革命主義者オーギュスト・ブランキなどがいた。
地元ゆかりの有名人といえば、「メール・プラール」ことアネット・ブティオ(1851-1931)のことも忘れるわけにはいかない。ブルゴーニュの生まれだが、夫とともにモン・サン=ミシェルで宿屋を開業、日々の業務をこなしていた。その宿屋のオムレツが名物料理として有名になったことで彼女の名前はフランス全土に知れ渡り、パリっ子がこぞって食べに来るようになった。
もうひとつのモン・サン=ミシェルの名物が「グレヴァン」、地元産の羊肉だ。海からくる潮風を受けた牧草はミネラルや塩分を含み、それを食べて育った羊の肉には独特の味わいがある。「Prés salés du Mont-Saint-Michel(モン・サン=ミシェル浜辺の牧場育ち)」と書いてあるお肉を探してみよう。
10世紀頃から、モン・サン=ミシェルは巡礼の地としても人気となった。当時は島には橋はかかっておらず、歩きにくい砂地を渡る必要があり、溺れてしまう危険もあった。
現在ではモン・サン=ミシェルは毎年多くの観光客を迎えている。年間200万人が訪れており、フランスでも一二を争う人気観光地だ。
それほど多くの人が来るモン・サン=ミシェルだが、居住している人は数十人に過ぎない。19世紀には1,000人以上のひとが住んでいたが、1975年には114人まで減り、2020年には27人しか残っていない。
フランスを代表する宗教建築ということもあり、モン・サン=ミシェルはゲームに登場することも多い。たとえば、カプコン制作のゲーム『鬼武者3』(2004)でもその姿を見ることができる。