1997年8月31日に逝去した英ダイアナ妃:悲劇をめぐる疑惑の数々
世界中の人々から愛された英ダイアナ妃は1997年8月31日、パリ市内で交通事故に遭い、36歳の若さで帰らぬ人となった。
ダイアナ妃は英国王チャールズ3世(当時は皇太子)と離婚してから数ヵ月後に、執事だったポール・バレルに手紙を送っていた。そして、そこには「日付を記入しておきます。念のため、(この手紙を)保管しておいてください」と書かれていた。
その後、ダイアナ妃は交通事故でこの世を去ることとなる。しかし、この手紙に書かれた内容は、ダイアナ妃の死が実は事故によるものではないことを示唆するものだったのだ。
英王室関連のスクープを専門とするメディア「The Royal Observer」によれば、ダイアナ妃は1997年8月31日に死亡するまで、ずっと身の危険を感じていたらしい。たとえば、ケンジントン宮殿近くにあった自宅マンションに盗聴器が仕掛けられていると思い込み、執事ポール・バレルとともに床板をはがして確認したこともあるほどだ。
さらに不気味なのは、件の手紙の中に、「わたしは今、人生でもっとも危険な時期に差し掛かっています。夫はわたしの自動車のブレーキに細工をして『事故』を起こし、わたしの頭部に重傷を負わせようとしているのです」と書かれていたことだ。
ダイアナ妃の離婚劇はメディアにとって格好のネタだった。離婚の背景はチャールズ皇太子(当時)とカミラ・パーカー・ボウルズ(現王妃)の不倫だったことも発覚し、英王室は波乱に見舞われていた。1996年8月にようやく離婚が成立したころには、世界中のマスコミがその経緯をこと細かに調べ上げたあとだった。
ダイアナ妃は手紙の中で「わたしは強くなりました。でも、あの人たちは、わたしが自立してうまくやれるようになったことが気に入らないのです」と書いている。では、「あの人たち」とは誰のことだろう?
「The Royal Observer」いわく、ダイアナ妃は英王室のメカニズムを気にしていたそうだ。熱心な英王室ファンにとって、ダイアナ妃は一家の秘密を暴露しかねない「危険人物」になってしまっていたためだ。
当時、36歳だったダイアナ妃は恐怖に苛まれて被害妄想に陥り、ついには警察のボディガードまで解雇してしまうほどだった。
手紙にはこう書かれている:「10月の今日、わたしを抱きしめてくれる人がいればよいのにと思いながら、これを書いています。堂々と強くあり続けるよう励ましてくれる人が欲しいのです」
「この15年間、わたしは制度によって精神的に虐待され、打ちのめされてきました。でも、恨みや憎しみはありません」
「闘いには疲れましたが、降伏するつもりはありません。わたしは意志が固いのですが、敵対者たちにとってはそれが問題なのかもしれません」
しかし、ダイアナ妃の懸念を物語るものはこの手紙だけではない。『インデペンデント』紙も指摘しているが、顧問弁護士だったヴィクター・ミシュコンが1995年に書き留めたメモも残されているのだ。
このメモによれば、ダイアナ妃はある情報筋から、「彼女を抹殺」しようとする人がいることを知らされていたらしい。
いずれせよ、不気味なのはダイアナ妃が生前から「交通事故」に言及していたことだ。ダイアナ妃は自分が事故で命を落とすか、どんな発言をしても「支離滅裂」だと思われてしまうほどの重傷を負うだろうと述べていたのだ。
ところが、警察は捜査結果をまとめた832ページにおよぶ文書を公表し、2006年に捜査を打ち切ってしまう。
調査を主導したロンドン警視庁のジョン・スティーヴンス元総監は、ダイアナ元妃を「抹殺」する策略など存在せず、単なる事故だったのは「100パーセント」間違いないと結論づけた。
ダイアナ妃を乗せた自動車を運転していたアンリ・ポールは「アルコールと処方薬の影響下」にあり、これは「過失運転致死罪」にあたると判断されている。また、ダイアナ妃と交際相手のドディ・アルファイドはシートベルトを着用しておらず、これが事故死につながった可能性もある。