相続争いを引き起こしてしまったセレブたち:アラン・ドロンにマーロン・ブランド......
2024年8月、フランスの名優アラン・ドロンが88歳で逝去した。アラン・ドロンには3人の子供アントニー、アヌーシュカ、アラン=ファビアンとがおり、相続に関する確執が注目されている。
アラン・ドロンの遺産は約3億ユーロ(約480億円)とも言われる。ドロンの生前から家族が仲違いしてしまったのはその莫大な遺産も一因だろう。
Showbizz Daily をフォローして世界のトレンドをいつも手元に
フランスの放送局「BFMTV」のインタビューで、アントニー・ドロンは遺産の相続について言及、アヌシュカが不当に有利な条件を獲得していると述べている:「もう決まったことです。それが父の決断でした。つまり、はっきり言ってしまいますが、父の資産の半分をアヌシュカが得ることになっています。アラン=ファビアンと私はふたりで残りを分けるので、ひとり25%ずつということになります」
仏誌『ガラ』が2019年に行なったインタビューで、アラン・ドロンは「ジョニー・アリディのように、自分の子どもたちが仲違いする」のは望んでおらず、死ぬ前にきちんと相続問題に片をつけておきたいと述べていたのだが、そうはならなかったようだ。
アラン・ドロンも引き合いに出したフランスのロック歌手、アリディも自身の資産に関連して家族が仲違いしてしまっており、セレブの相続問題の根深さは共通する悩みのようだ。ほかにどんなセレブが同じ問題に苦しんだかチェックしてみよう。
ジョニー・アリディの場合、遺言は本人が亡くなる2017年まで公表されなかった。その遺言書では最後の妻レティシアと2人の養女に財産をすべて渡し、実子であるダヴィド・アリディとローラ・スメットのふたりには何も遺さなかった。
実子の2人はこの遺言を不服として提訴、レティシアがアリディに不当な影響を及ぼしたと主張した。長い裁判が行われ、結局2020年にようやく和解に至っている。
レティシアは遺産のうち不動産、著作権収入、アリディの肖像権を確保したが、アリディが抱えていた3,000万ユーロ(約48億円)以上の負債の処理も行うこととなった。
1973年、伝説的な画家パブロ・ピカソが亡くなったが遺言書はなく、多くの不動産や作品、莫大な権利収入などがそのまま遺された。まさに「世紀の遺産」という規模だ。
この事態を受けて色めきたったのがピカソの子供やかつての配偶者・愛人たち。総勢6つの陣営に分かれて権利をめぐる長い争いが巻き起こった。
結局、遺された作品の権利はピカソの息子パウロ(ロシアのダンサー、オルガ・コクローヴァとの間の息子)とジャクリーヌ・ロック(ピカソ最後の妻)に渡った。だがほかの3人の実子にも権利の一部が渡ったほか、パウロが1975年に父の後を追うように亡くなってしまったため、その子供たち(つまりピカソの孫)にも権利が認められた。
2001年、シャンソン歌手のシャルル・トレネが亡くなり、著作権を含む多くの財産がトレネに20年以上仕えた個人秘書権運転手のジョルジュ・エル・アシディに遺された。
血縁者ではなかったため、エル・アシディ(写真)は相続した著作権の6割を国に納めねばならなかった。そしてその権利や財産の管理をデンマークの会社に委託したのだが、結局ほとんど手をつけないままその会社を詐欺で提訴している。
さらに、2008年にはトレネの異母妹と甥がこの相続を無効にする裁判を起こしたうえ、トレネの隠し子と称するカナダ人まで現れた。だが、この3人の起こした裁判はどれもうまくいかず、エル・アシディの相続を正当なものとして認めている。
フランスの化粧品会社「ロレアル」の資産を相続して世界一の資産家女性となったリリアンヌ・ベタンクールは世界的写真家であるフランソワ=マリー・バニエに大量のお金や贈り物をしており、その総額は10億ユーロ(約1600億円)とも言われている。これに待ったをかけたのがリリアンヌの娘、フランソワーズ・ベタンクール=メイエだ。
フランソワーズは、高齢となり認知能力の衰えた母にバニエがつけこんだとして訴えた。リリアンヌはいっときフランソワーズに自身の財産を相続させないようにしたこともあったが、結局バニエは裁判に敗れ、世界最大級の資産はフランソワーズの手に渡った。
1993年になくなった往年の名女優オードリー・ヘップバーンは自身の財産をふたりの息子ショーンとルカに均等に遺すつもりだった。だが、その詳細な分割方法は指示されていなかったため争いとなり、ショーンが裁判を起こした。
長きにわたる法廷闘争の結果、和解が成立。全ての財産をオークションにかけてふたりでその売り上げを均等にわけるということで決着となった。
2014年に亡くなった俳優ロビン・ウィリアムズ。悲しい最期だったが、最後の妻と、それ以前に結婚していた女性たちとの間の子供とで相続争いが起きてしまった。
現金資産は子供たちに渡り、最後の妻であるスーザン・シュナイダー(写真)にはロビン・ウィリアムズと住んでいた家の居住権や家賃収入が遺されるということは明記してあったのだが、問題となったのは腕時計などの高価な物品の相続だった。
2009年に亡くなった「キング・オブ・ポップ」マイケル・ジャクソン。巨大な存在だっただけに遺された著作権などの資産も莫大だったが、同時に巨額の負債も遺してしまった。
遺言では、4割を子供たちに、4割を母親に、そして残りの2割をチャリティに回すと書かれていた。他の親族たちがこの遺言に異を唱え分前を求めてきたが、故人の意思を覆すことはできなかった。
マーロン・ブランドは複数の女性との間に総勢14人もの子供がいた。2004年に亡くなったときに遺された資産は全部で2,000万ドル(約30億円)と言われ、なんとポリネシアの珊瑚礁まであったとか。これだけの資産の相続もまた一筋縄ではいかなかった。
相続権を申し出てきた人は多数いたが、マーロン・ブランドは多くの子供に相続させないと決めていた。母親とされる女性たちとの関係も良好でなかったうえに、ほんとうにマーロン・ブランドの子供かどうかも確定していなかったからだ。