12世紀の大司教、聖マラキの予言:2023年に世界が終わる?

聖マラキの予言
教皇についての予言
112の短文からなる
「ローマびとペトロ」とは誰か?
名前は違うが……
「ペトロ」を名乗った教皇はいない
最後から一つ前の教皇がベネディクト16世?
予言はラテン語
ヴェネツィア発の偽書?
スピリチュアルな比喩
カトリック教会の立場は?
教皇フランシスコは意に介さず
終末論は消えず
ヨハネの黙示録
ノストラダムス
聖マラキが正しいかも?
聖マラキの予言

俗信、迷信、都市伝説……なんと言われようとも、どこの文化にも予言はつきもの。キリスト教文化にも有名な予言があり、物議を醸してきた。その一つが聖マラキの予言だ。この予言が話題になってきたのは、それが世界の終わりを書き記しているとされたからだが……問題はその終わりが今年かもしれないという点にある。

写真:De Andreas F. Borchert, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=110824468

教皇についての予言

聖マラキは12世紀の人物。出身地北アイルランドの都市、アーマーで大司教を務めた。そんな聖マラキが書いたとされる予言が、死後数百年経った1595年に公刊された。この予言は「教皇についての予言」などと呼ばれている。

112の短文からなる

予言は112の短文からなり、ラテン語で書かれている。この文章が未来のことや、ひいては世界の終わりについて語っていると考えられてきた。具体的には、短文一つ一つが代々のローマ教皇について語っていて、最後の教皇の後にはアポカリプスが到来するとされている。

 

写真:cited from Arnold Wion - Lyon Public Library, Scanned by Google 2012-09-24 https://books.google.at/books?id=UJommEJQ5o0C, public domain, https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Arnold_Wion_-_Lignum_Vitae_-_1595_-_p311.jpg

「ローマびとペトロ」とは誰か?

聖マラキは111の短文を書いたあと最後の教皇について述べ、それから破壊的な最後の争いが巻き起こり、世界の終わりがくるとしている。その最後の争いの時に教皇となるのが「ローマびとペトロ」だとされている。そしてこの最後の教皇が現教皇、フランシスコではないかと考える人がいるのだ。

名前は違うが……

予言のいう「ローマびとペトロ」と現教皇は名前が違う。それは明らかだが、予言の文章というのはしばしば謎めいた書き方をされており、真意を明らかにするためには神秘的な読解が必要だとする専門家もいる。

写真:Ben White / Unsplash

「ペトロ」を名乗った教皇はいない

教皇名は就任する際に自由に選ぶことができるのだが、実は、いままでペトロを名乗った教皇はいない。その理由を聖マラキの予言が実現しないようにするためだと考える人もいる。

最後から一つ前の教皇がベネディクト16世?

ある解釈によると、予言で111番目(最後から一つ前)に述べられているのが前教皇のベネディクト16世だという。仮にそれが真実だとすると、その次の代が最後の教皇ということになり、不吉なことになってしまう。

予言はラテン語

聖マラキが最後に書いているのは実際には次のような文章だ。「ローマびとペトロはローマ聖教会への激しい迫害の最中にその地位につき、種々の苦難のなか羊たちを導くだろう。その後、七つの丘の都市(=ローマ)が崩れ落ち、恐るべき裁判官によってその人々が裁かれるであろう。終わり」

写真:By Patricia Drury - originally posted to Flickr as Sterling Heights - St. Malachy, CC BY 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8132830

ヴェネツィア発の偽書?

しかし、多くの歴史家の意見では、聖マラキの予言は偽書であり、捏造されたものだとされる。聖マラキは12世紀北アイルランドの人物だが、この文書が初めて公刊されたのは16世紀末、ヴェネチアでのことだった。ベネディクト会の修道士、アルノルド・ヴィオンが文書保存庫から見つけたというのである。

スピリチュアルな比喩

現実的には、こういった宗教的予言というものはスピリチュアルな比喩表現に満ちており、漠然とした危機感を表明する一種の詩のようなものだ。したがって解釈の余地も非常に大きいなものとなりがちで、「世界の終わり」も何度も延期されることになる。

カトリック教会の立場は?

聖マラキの予言に対するカトリック教会の立場は曖昧なものだ。この予言を含め、聖人のものとされる文書は教会によって認められてはいる。だが、ベネディクト16世は教理省長官時代の書類で、こういった文書を文字通りに解釈するべきではないと述べている。

教皇フランシスコは意に介さず

現教皇フランシスコはというと、こういった古めかしい予言の書は進取の気風に富んだスタイルとは合わないようで、特に意に介している様子はない。

終末論は消えず

それでも、人間は未来のことを知りたがるものだし、パンデミックもいまだ収束を見せない激動の時代、聖マラキの予言がどこか現在のことを指しているように感じられるのも確かだ。

ヨハネの黙示録

似たような予言的文書の中でももっとも恐ろしいのはおそらくヨハネの黙示録だろう。黙示録から世界の終わりの時期を読み取ろうとする人々も絶えることがない。だが、それ以上に、世界の終わりのビジョンを示した詩的作品として読む人たちも多い。

ノストラダムス

それからノストラダムスも忘れてはいけない。彼の作品もまた、尽きることのない解釈を提供し続けている。

聖マラキが正しいかも?

最後にもう一つ、聖マラキに帰せられている予言を紹介しておこう。アイルランド出身の聖マラキだが、そのアイルランドがやがてイングランドに支配され、多くの苦難を経験するという予言も残している。この「アイルランドについての予言」は18世紀にフランスの修道士が発見したものだが、実現してしまった。果たして教皇についてはどうなるだろうか?

写真:Monastère d'Eberbach, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=28375918

ほかのおすすめ