ヴェルサイユ宮殿にまつわる面白マメ知識

1:もともとは狩猟用の館
2:ルイ14世の動物園
3:国王の娯楽が最優先
4:国王の起床は一大セレモニー
5:国王の就寝は……
6:おまるは銀製
7:ルイ14世の時代から観光スポット
8:国王の食事は冷や飯?
9:ルイ15世の好物はホットチョコレート
10:マリー・アントワネット専用の村落
11:マリー・アントワネットの自室にあった秘密の通路
12:噴水用の揚水装置は力不足
13:鏡の間にある鏡は350枚以上
14:107年間の現役時代
15:ヴェルサイユ条約の締結は鏡の間で
16:フランス革命で破壊された「王の門」
1:もともとは狩猟用の館

現在では荘厳な姿を誇るヴェルサイユ宮殿だが、もともとは石とレンガで作られた質素な狩猟用の館に過ぎなかった。当時フランス王だったルイ13世(1601~1643年)がパリの喧噪を避け、獲物の多いヴェルサイユの地でゆったりと狩りを楽しめるようにと、1623年に立てさせたのだ。

 

2:ルイ14世の動物園

フランス王ルイ14世(1638~1715年)はこの宮殿に居を定める20年前の1662年、 敷地内に動物園を設置することを決定。世界各地の様々な動物が一堂に会することとなった。この王家の私設動物園は1668年に建設が終わり、ポルトガル王に贈られたゾウやアラブの王族に贈られたヒョウをはじめ、各国からやってきた献上品の動物たちがここで暮らすこととなった。また、今日における動物園のルーツともなっている。

 

3:国王の娯楽が最優先

ルイ14世の在位中、ヴェルサイユ宮殿では様々な催しが行われていた。舞踏会やコンサート、演劇、オペラ、光のショーなど、国王と廷臣たちを楽しませるイベントが目白押しだったのだ。

 

4:国王の起床は一大セレモニー

毎朝、国王の起床には大勢の従者たちが立ち会うことになっていた。まず、ひとりの従者が国王を起こし、医師の診察が終わると、寵臣たちが次々に国王の寝室を訪れるのだ。そして、衣装係の手を借りて着替えを済ませた国王は、朝食のテーブルに着くわけだ。このセレモニーを一目見るため、毎朝数百人の人々が詰めかけたというから驚きだ。

 

5:国王の就寝は……

国王の就寝もまた、盛大なセレモニーの場だった。ただし、ルイ14世は深夜11時半~12時に目を覚まし、愛人のもとに通っていたと言われている。国王の剣とおまる(!)を携えた侍従長が常に付き従ったのだとか。

 

6:おまるは銀製

ルイ15世が「英国式トイレ」を導入するまで、ヴェルサイユ宮殿の住人たちはなんと銀製のおまるを利用していた。贅沢の極み……

 

7:ルイ14世の時代から観光スポット

ルイ14世の時代には、娼婦を除くあらゆる人々にヴェルサイユ宮殿と庭園を訪問する権利が認められていた。入場に際して求められるのは服装だけ。ただし、国王の前を横切るのはタブーだった。この寛大な決定のおかげで、フランス中からヴェルサイユ観光に訪れる旅行者が絶えなかったという。

8:国王の食事は冷や飯?

キッチンとダイニングルームが離れ過ぎていたせいで、ルイ14世の食事は冷えてしまっていることが多かった。この問題を解消するため、ルイ15世(1710~1774年)は17世紀になって自らの居住区にキッチンを設置させたという。

 

9:ルイ15世の好物はホットチョコレート

当時の王族にとって、カカオから作られるホットチョコレートはエキゾチックな飲み物だった。とくに、ルイ15世はホットチョコレートをすっかり気に入ってしまい、宮廷全体に広めたのだとか。また、媚薬効果があると信じられていたため、国王の愛人たちにも供されていた。

 

10:マリー・アントワネット専用の村落

田舎の牧歌的な生活に憧れていたマリー・アントワネット。1782年にはルソーの著作に触発され、自然なつくりの村里を敷地内に作らせてしまった。窮屈なヴェルサイユ宮殿の生活から逃れるため、ひとりでその一角にこもったり農民に扮した客人を招いたりしたのだ。ブドウ園や果樹園、菜園、牧場を備えた本格的なもので、王妃御用達の農民が管理にあたっていた。

 

11:マリー・アントワネットの自室にあった秘密の通路

マリー・アントワネットの自室には夫ルイ16世(1754~1793年)の自室と同様、タピスリーの裏側に秘密の扉があり、そこから出入りすることができるようになっていた。フランス革命で蜂起した市民が1789年10月6日に宮殿に押し掛けた際には、ここを通って脱出している。

 

12:噴水用の揚水装置は力不足

ヴェルサイユ宮殿の庭園には大小さまざまな噴水が55もある。そして、これほどたくさんの噴水を作動させるには工夫が必要だった。それが、1681年にリエージュの技術者たちによって発明された巨大な揚水装置「マルリ―の機械」だ。しかし、それでもこの装置だけですべての噴水に同時に水を送り込むことはできなかったため、国王の移動に伴って最寄りの噴水だけ作動させることで、すべてが吹き上がっているような錯覚を生み出していたという。

 

13:鏡の間にある鏡は350枚以上

ヴェルサイユ宮殿を象徴する「鏡の間」。訪れる者にルイ14世の権力を誇示するため、1678年から1684年にかけてフランス人建築家ジュール・アルドゥアン=マンサールの手によって建設されたものだ。全長73メートルの回廊には、ヴェネツィアの職人たちが生み出した最高品質の鏡357枚が壁一面に貼られている。

14:107年間の現役時代

膨大な富と時間をつぎ込んで建設されたヴェルサイユ宮殿だが、フランスの頂点として君臨していたのは107年間と意外と短い。ルイ14世、ルイ15世、ルイ16世の3人が1682から1789年までここに居を定めていたが、フランス革命によって王家はこの地を離れざるを得なくなってしまったのだ。

 

15:ヴェルサイユ条約の締結は鏡の間で

1919年6月28日、この宮殿の鏡の間でヴェルサイユ条約が締結され、第一次世界大戦に終止符が打たれた。

16:フランス革命で破壊された「王の門」

貴族たちがヴェルサイユ宮殿でまばゆいばかりの生活を送る一方、「王の門」の外では市民たちが貧困に喘いでいた。その結果、金箔で覆われたこの門は圧政のシンボルとみなされ、フランス革命の際に破壊されてしまった。しかし、2008年には10万枚の金箔をつぎ込んで、もとどおり再建されている。

 

 

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