シャロン・ストーン(65)の栄光と挫折、闘病生活から復帰を果たした骨太女優

ペンシルベニア出身の少女
80年代の新星
過酷な経験を強いられた幼年時代
「奇妙な満足」
怒りを演技にぶつける
怒りを解き放つ
端役で映画デビュー
フランス映画に出演
1985年の『ソロモン王の洞窟』
1992年の『氷の微笑』でブレイク
映画史に残る名シーン
栄光の90年代
『クイック&デッド』でラッセル・クロウと共演
『カジノ』での運命的な出会い
2度の結婚と離婚
シャロン・ストーンの子供たち
体調を崩した2001年
臨死体験で見た光
勝手に行われた豊胸手術
望んでいなかった整形手術
脳卒中からの復帰
ジョン・トラボルタとプレゼンターを務めたアカデミー賞授賞式
セックスシンボルと見られて
「魅力的であるということは、自分を好きになることです」
バイタリティにあふれた楽観主義者
『モザイク~誰がオリヴィア・レイクを殺したか』主演
『ラチェッド』の円熟した演技
年月を経て手に入れた落ち着き
ペンシルベニア出身の少女

シャロン・ストーンは1958年3月10日、ペンシルベニア州の小さな町ミードヴィルに生まれた。学生時代にミス・ペンシルベニアに優勝、その後ニューヨークに移ってモデルとして活動を始める。そしてシャロン・ストーンの偉大なるキャリアが始まったのだ。

80年代の新星

1977年、シャロン・ストーンはペンシルベニア州からニュージャージー州に住む叔母の元へ引越した。ファッションとショービジネスの世界に一歩近づいた彼女は、ハリウッドスターへの道を歩み始めた。

過酷な経験を強いられた幼年時代

しかし、スター女優としての輝きとは裏腹に、私生活は苦難に満ちたものだった。2021年に出版された自伝『The Beauty of Living Twice』によれば、幼い頃に祖父が妹ケリーを虐待するのを目にし、あまりの恐怖と驚きに身動きできなくなったという。しかも、共犯となって姉妹をひとつの部屋に閉じ込めたのは祖母だったのだ。

「奇妙な満足」

その祖父はシャロン・ストーンが14歳のときに亡くなった。祖父の遺体に触れて確かにこと切れていることを確認すると、「奇妙な満足」を感じたと明かしている。

怒りを演技にぶつける

その後、祖父母に対する怒りを演技にぶつけることになったと自伝で回想している。

怒りを解き放つ

この経験は後のサスペンス映画『氷の微笑』で役立てられた。「自分の中に抱えていた怒りを外に出すことは素晴らしい体験になりました。映画を観た方もその解放感を共有することで、ちょっとしたセラピーになったのではないかと思います 」としたほか、「こういった経験をしたのは自分だけではありません」と社会に目を向けた。

端役で映画デビュー

代表作となった『氷の微笑』に至るまで、シャロン・ストーンは女優としてのキャリアを少しずつ積み上げていった。最初に彼女の才能を見出したのはウディ・アレンで『スターダスト・メモリーズ』(1980年、写真)のワンシーンに起用。だが、クレジットにシャロン・ストーンの名はのらなかった。

フランス映画に出演

それから間もなく、フランスの監督クロード・ルルーシュが制作した『愛と哀しみのボレロ』(1981年)への出演が決まった。しかし出番はわずか2分の追加シーン。女優としての成功はすぐには訪れなかった。

1985年の『ソロモン王の洞窟』

シャロン・ストーンのキャリア初期におけるもう一つの作品は、リチャード・チェンバレンと共演した1985年のアクション映画『ソロモン王の洞窟』だ。

 

1992年の『氷の微笑』でブレイク

シャロン・ストーンがハリウッドスターとしての地位を確立するきっかけとなったのは、1992年に公開された『氷の微笑』。類まれなカリスマ性を発揮し、批評家や観客をスクリーンにくぎ付けにした。

映画史に残る名シーン

シャロン・ストーンが美しい足を組む『氷の微笑』の名シーンは、当初予定されていたものではなかった。彼女は自伝の中で、このシーンは「だまされて」撮影されたとしている。気付いた彼女はポール・バーホーベン監督と争いになったが、裁判に持ち込むことはしなかった。「もういいの。それに演じたのは私だし、私自身の身体なのだから」

栄光の90年代

1990年代、シャロン・ストーンは輝かしい栄光を手に入れ、『わかれ路』(1994年)や『ラストダンス』(1996年)を始め、数多くの作品で主演を務めた。

『クイック&デッド』でラッセル・クロウと共演

なかには『シルバー』のようにぱっとしない出演作もあった。一方、西部劇にも挑戦し、『クイック&デッド』(1995年)では女ガンマンというタフな役柄をこなしている。

『カジノ』での運命的な出会い

マーティン・スコセッシが監督し、ロバート・デニーロ、ジョー・ペシと共演した『カジノ』(1995年)は大きな成功を収めた。シャロン・ストーンはこの映画でアカデミー賞にノミネートされほか、自伝でロバート・デ・ニーロについて「どんな俳優をも上回るような、信じがたいほどの仕事ぶりについて手本を示してくれた」と絶賛。マーティン・スコセッシにも「私の人生の中で最も偉大な監督」と賛辞を贈った。

2度の結婚と離婚

プライベートでは2度の結婚といくつかの順調な恋愛を経験。結婚相手は1984年に入籍し3年後に別れたテレビプロデューサーのマイケル・グリーンバーグと、1998年に結婚し2004年に離婚した『サンフランシスコ・エグザミナー (The San Francisco Examiner)』誌編集長のフィル・ブロンシュタインである。

シャロン・ストーンの子供たち

2000年、シャロン・ストーンは二人目の夫フィル・ブロンシュタインとの間に養子を迎えた:ロアン・ジョセフ・ブロンシュタイン(Roan Joseph Bronstein)(写真)。フィル・ブロンシュタインと別居後も、さらに2人の養子、レアード・ヴォンヌ(2005年)とクイン・ケリー・ストーン(2006年)を迎えている。

体調を崩した2001年

2001年はシャロン・ストーンの人生の中で最もつらい年となった。まず乳房に良性の腫瘍が見つかり摘出手術を受けた。続いて脳卒中で倒れ、あやうく命を落とすところだった。

臨死体験で見た光

脳卒中について、シャロン・ストーンは「激しい頭痛に悩まされ、病院に行き検査を受けた」と語る。動脈瘤による脳出血と診断され、すぐに治療を受けることになった。後に『パリ・マッチ』誌にこのときのことを語り、臨死体験に至り「あの世の白い光」を見たこと、さらに亡くなった父親の姿も見たことを明らかにした。

勝手に行われた豊胸手術

同じ年にシャロン・ストーンは胸の良性腫瘍を取り除く手術を受けたが、これは複雑な経験になったと語っている。「身体に巻かれた包帯を外したら、胸が一回り大きくなっていたんです」。勝手に豊胸手術をした外科医は彼女に対し、「この方があなたのヒップによく合いますよ」と言ったという。

望んでいなかった整形手術

それから20年後、シャロン・ストーンはこの望まぬ整形を糾弾している。「あの医師はまったくの自己判断に基づき、私の同意なしに私の身体を変えてしまったのです。」

脳卒中からの復帰

2002年、シャロン・ストーンはアカデミー賞授賞式におけるプレゼンターのひとりに抜擢された。当時、「見ること、聞くこと、話すことにもまだ問題があり、歩けるようになったのも少し前のことだった」という。レッドカーペットでは夫のフィルと一緒に何ごともないかのようにポーズをとり、人々に体調について知られることは望まなかった。

ジョン・トラボルタとプレゼンターを務めたアカデミー賞授賞式

このときシャロン・ストーンはジョン・トラボルタとプレゼンターを務めた。「ステージから、才能あふれる素晴らしいアカデミー賞協会の方々の顔を見渡しました...... だれもが微笑んだり笑ったり、その瞬間を楽しんでいました。理由はなんであれ、その場の全員が高揚していたのです」とその時のことを振り返っている。

 

セックスシンボルと見られて

長い間セックスシンボルとして見られていたシャロン・ストーンだが、2014年にテレビ司会者のオプラ・ウィンフリーに対し、「私は今56歳です。それでも私を好きでいてくれるファンもいるし、それでいいと思っています」と語っている。

「魅力的であるということは、自分を好きになることです」

シャロン・ストーンは『ハーパーズ・バザー』誌に対し、自身が考えるビューティーアイコンの明確な定義を伝えた:「魅力的であるということは、あなたが一緒にいたいと思う人に好かれるくらい、自分自身を好きになること」。

バイタリティにあふれた楽観主義者

シャロン・ストーンは自身のことを、人生の逆境にもかかわらずバイタリティにあふれた、楽観主義の女性だと表現している。また、社会活動や慈善活動も行っており、数年前から、米国エイズ研究財団、ループスLA、ダライラマ財団、ハビタットフォーヒューマニティなどの慈善団体を支援している。

『モザイク~誰がオリヴィア・レイクを殺したか』主演

パンデミックで制作活動が中断される前、シャロン・ストーンは映画やテレビで興味深い役に挑戦している。2017年には『ディザスター・アーティスト』に出演、その2年後にはドラマシリーズ『モザイク~誰がオリヴィア・レイクを殺したか』 で主演。とくに後者の作品では批評家と観衆の両方から高い評価を受けた。

『ラチェッド』の円熟した演技

2020年、シャロン・ストーンはサラ・ポールソン主演のNetflixシリーズ『ラチェッド』で小さな(しかし興味深い)役を務めた。これは映画『カッコーの巣の上で』に登場する看護師ミルドレッド・ラチェッドをスポットを当てた作品。シャロン・ストーンは陽気な性格で猿をペットにする大富豪の未亡人役で、堂々たる演技を披露している。

 

年月を経て手に入れた落ち着き

シャロン・ストーンは60代半ばにして、公私ともに成功を収めているハリウッドの生きた伝説となった。『El País』紙とのインタビューに答え、「今までで一番、楽に仕事ができるようになりました。以前、仕事場で感じていたようなストレス、緊張、不安はなくなりました」と語っている。

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